自由を得るためには規律が必要である。好き勝手に生きた結果、僕は不自由になった、

哲学 生き方

2つ目の記事

【前書き】
自由に生きたい。誰にも縛られず、自分の好きなように選んで生きたい。そう思う人は多いと思います。僕もずっとそうでした。でも、高校生活を通して痛感したのは、自由を求めて好き勝手に生きるほど、逆に不自由になっていくということでした。この記事では、僕自身の失敗をもとに、なぜ自由には規律が必要なのか、そして本当の自由とは何なのかについて書きます。

【セクション1】自由に生きたいと思っていた僕は、ずっと自由をはき違えていた

僕は高校1年生くらいから、ずっと「自由になりたい」と思っていました。きっかけはたぶん、YouTubeとかを見て、好きなように生きている人たちが楽しそうに見えたことだったと思います。でもそれ以上に大きかったのは、僕自身が誰かに縛られることが本当に嫌だったということです。

学校の課題も出したくなかったし、意味がないと思うことはやりたくなかった。提出物も出さないし、成績も悪かったし、ずっと「自分の好きなことだけしていればいい」「人生一度きりなんだから、好きなように生きればいい」と思っていました。周りが学校のルールに従っているのを見て、むしろそっちの方がダサいとさえ思っていました。

でも今振り返ると、そのとき僕が求めていたのは本当の自由ではなく、ただ自分に都合よく振る舞える状態だったんだと思います。自由を求めていたつもりだったけれど、実際には自由をはき違えていた。それが最初の間違いでした。

【セクション2】好き勝手に生きた結果、僕はどんどん不自由になっていった

自由に生きたいと思って、学校の規律から外れるような行動を続けた結果、どうなったか。結論から言うと、僕はどんどん不自由になっていきました。

提出物を出さなければ成績が下がる。赤点を取れば単位が危うくなる。学校を休めば出席率が足りなくなる。そうすると、卒業のために学校へ行かなきゃいけない、提出物を出さなきゃいけない、テスト勉強もしなきゃいけない。つまり、自分の時間や行動がどんどん外部によって制限されていくんです。

本当は自由に生きたかったはずなのに、自由に振る舞った結果、逆に自分の選択肢が減っていった。これが高校3年間で僕が味わった現実でした。受験の失敗も、その延長線上にありました。勉強しなかったから、受験勉強もしなきゃいけない。成績も危ないから、学校の勉強もしなきゃいけない。そうやって、自由を求めたはずなのに、ますます不自由になっていったんです。

しかもそれだけじゃありません。人としての信用も失いました。先生から積極的に助けてもらえるわけでもなく、「君はダメだね」と見られるようになる。これもまた、不自由です。自由を意識して自由に行動した結果、生活も人間関係も未来も、少しずつ縛られていった。自由を求めていたのに、不自由を自分で作っていたんです。

【セクション3】自由になりたいなら、自分の規律を作らなければならない

ここで僕がはっきり言いたいのは、自由を得るためには規律が必要だということです。これはもう、かなり確実に言えることだと思っています。

たとえば、夜更かしをして生活が崩れれば、睡眠の奴隷になります。お金がなければ、お金の奴隷になります。知識がなければ、知識がないことによってできないことが増えていく。健康を管理しなければ、病気や体調不良に振り回される。結局、人は規律がなければ、何かの奴隷になっていくんです。

逆に言えば、自分で規律を作れれば、外部の規律に支配されにくくなる。毎日勉強する規律がある。毎日食事を整える規律がある。毎日同じ時間に寝る規律がある。自分で稼ぐために動く規律がある。そうやって自分の人生を自分の規律で回せるようになったとき、初めて外部のルールに振り回されない自由が生まれるんだと思います。

本当の自由って、何もしなくていいことじゃない。好き勝手に振る舞うことでもない。外部の規律に縛られず、自分で作った規律によって生きられる状態が自由なんだと思います。だから自由になりたいなら、まず必要なのは「解放」ではなく「自律」です。

僕も今、自由になるために規律を作ろうとしています。毎日勉強する。毎日ブログを書く。毎日ちゃんと食べる。週に3回筋トレをする。まだ完璧ではないけれど、少しずつ自分の規律を作ろうとしています。自由になりたい人ほど、まずは何か一つ、自分で決めた規律を持つべきです。自由になりたいなら、自分の規律を作るしかない。 それが今の僕の結論です。

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