幸福を目指して生きた半年で気づいたこと。幸福は追うものじゃなく、あとからついてくる

哲学 生き方

【前書き】
「幸せになりたい」と思うこと自体は、何もおかしくありません。むしろ自然なことだと思います。けれど、幸福そのものを人生の目標にしたとき、人は本当に前に進めるのか。この記事では、挫折を経験したあとに「人と比べなくていい」「自分のペースで生きればいい」と考え、実際に半年ほどそう生きてみた中で感じたことを書いています。幸福を目的にすると、なぜ逆に活力を失ってしまうのか。 その体験を通して、今の自分なりの答えを整理してみます。

挫折して初めて、人と比べなくていいと思えた

浪人する前の自分は、かなり人と比べて生きていました。こいつよりできていないとダメだとか、あの人より上の大学に行きたいとか、そういう気持ちがずっとありました。今思えば、かなりプライドに引っ張られていたと思います。

でも、一回挫折したことで見え方が変わりました。人と比べなくていいじゃないか、と思ったんです。誰かより上に行くことを目標にしなくてもいいし、自分がしたいことを、自分の選択で、自分のためにやればいい。主体的に生きればそれでいいんじゃないか、そう思うようになりました。

その気づき自体は、自分にとって大きかったです。人と比べ続ける苦しさから少し離れて、自分の人生を自分で選ぶ感覚を初めて持てた気がしました。

幸福を目標にした半年は、思ったより何も残らなかった

そこから自分は、「じゃあ何を目指して生きるのか」を考えました。そして出した答えが、「幸福であればいい」というものでした。お金もそんなにいらない。めちゃくちゃ高い地位もいらない。大きな家もいらないし、美人と結婚しなくてもいい。自分が納得できる人と一緒にいられたらそれでいい。田舎で暮らしてもいいし、農業でもしながら、自分のペースで静かに生きればいい。そんなふうに考えていました。

毎日少しだけ働いて、あとはリラックスして、アニメを見て、周りの目を気にせず、自分の道をゆっくり進めばいい。そういう考え方で、実際に半年くらい過ごしました。たしかに、その考え方は一見ラクですし、心が軽くなる部分もありました。

でも、半年たってわかったのは、その生き方では自分は何も成長しなかったし、何より活力がまったく湧かなかったということでした。毎日を過ごしてはいる。でも「生きている」という実感が薄い。ただ時間が過ぎていくだけで、自分が前に進んでいる感じがしませんでした。

幸福は目標にするものではなく、何かを本気で追ったあとについてくるものだと思う

自分はずっと、目標を作って頑張る生き方をしてきました。でも挫折のあと、一度それを全部手放して、「目標なんていらない」「幸せであればそれでいい」と思うようになりました。けれど、その結果、自分の中からエネルギーが抜けていきました。勉強に対しても活力が湧かないし、人生全体が面白くなくなっていったんです。

そこで気づいたのは、幸福そのものを目標にしてはいけないということでした。幸福になろう、幸福に生きよう、それを一番の目的にしてしまうと、人は動けなくなることがある。少なくとも自分はそうでした。何かを削って、何も背負わず、何も求めずに生きれば楽になれると思っていたけれど、それは自分にとっては「自由」ではなく、「空白」に近かったです。

今の自分は、幸福というものは自分から取りに行くものではなく、何かを本気で追ったあとに、あとからついてくるものなんじゃないかと思っています。大事なのは、幸福を受け取る力を持つことではあっても、幸福を人生の中心目標にしてしまうことではない。幸福を期待しすぎると、逆に時間を過ごすだけになって、現状から少しずつ下がっていく。自分にとってこの半年は、それをはっきり感じた時間でした。

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